1945年8月28日に東久邇宮首相は記者会見で、「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬ」と語った。これを新聞が『一億総懺悔』という見出しで報道し、『一億総懺悔』は一種の流行語となった。これは実質的に天皇に懺悔する言葉として機能した。
ちょっと前まで一億玉砕だったのに、今度は一億総懺悔かよと嘲笑する反応は容易に予測できるわけだが、実は戦時中も日本人は一億総反省をしている。
今回の大戦果を収めた帝国陸海軍への感謝は、実に明日の本格的決戦に対するための今日に於ける一億総反省によつて始めて具体化されるであろう。
言論報国 2(12) 大日本言論報国会 大日本言論報国会 昭和一九(一九四四)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
国民総反省パターンもある。
日本が新信条、新思索を以つて再出発することは、最も明確に、国民総反省、総自覚の下に、本来の日本の姿に、復帰することを意味してゐる。
經國 8(4) 経国社 財政情報社 經國社 昭和一六(一九四一)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
これで少し『一億総懺悔』の受け取り方が変わってくる。
『一億総反省』や『国民総反省』が『一億総懺悔』と異なることは事実だが、ややこしいことに『一億反省』というのも存在している。
何が故の国難ぞや。
神国日本の霊力は未だ発現の契機を得ざるや。
今ぞ臣民一億反省の秋には非ざるか。臣民一億の反省 中村, 貞彦 清明書院 昭和一五(一九四〇)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
さらに紛らわしい言葉がある。戦中には『国家総動員法』や『国民精神総動員』というのがあったが、その前に『国民総懺悔総反省』すべきだと書いてた人がいるのである。
国民総動員の前に、国民総懺悔総反省こそ望ましい。
地下の水 : 随筆 大山, 澄太, 1899-1994 広島逓信局広島逓友会 昭和一一(一九三六)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
この文章を読んだことがある人の中には『一億総懺悔』だと! 国家総動員の前に反省しろってことだな!! やってやるぜアメリカ絶対許さんぞ!!! などと勘違いする頭のおかしな奴がいた可能性は皆無ではない。
ちなみに『総〜』もよく使われた言葉で、基本的に気合を入れろという時に使われる。
日本国民はさらにさらに祖国日本に偉大を加へなければならない。でなければ我等は父兄祖先の遺産を座して徒食したとの譏を受けることになる。是に於てか日本総国民の総自覚と総努力の必要が生じて来るのである。
愛国の書 : 皇道扶植の秋到る 三浦, 耕作 三浦耕作 昭和一三(一九三八)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
『総親和』の為に先づ『総自覚』『総奮闘』を要する。
皇紀二千六百年を迎へ国民の覚悟を新にす 石井, 三郎, 1880-1948 皇道義会本部出版部 昭和一五(一九四〇)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
『日本総国民の総自覚と総努力』がなにを意味するのかはよく分からないが、『総親和』実現のため『総自覚』をして『総奮闘』するというのも暑苦しくて最悪だといえる。『総親和』は修養団が流行させた言葉で、修養団といえば流汗鍛錬、同胞相愛だが、その時々で色々なブームがあり『総親和』が盛んに使われた時期があったのである。
△修養団は明るき世界を建設せんとする、各地同志の盟契であります。
総親和の美風を作興して、総努力の良俗を醞醸せんとする集団であります、相愛主義と鍛練主義を高唱する、倫理運動の先駆であります。近代無類膝栗毛 : 文明叛逆 小原, 健, 記者 近代無類膝栗毛刊行会 大正一二(一九二三)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
蓮沼門三が設立した修養団はもともと寄宿舎を掃除する学生サークルだったのだが、蓮沼のカリスマがありすぎるため、敗戦時には620万の団員がいた。つまり総親和はどメジャーな言葉だった。だから戦時中からこういう言葉を聞き続けてた人々の中には、「一億総懺悔? あー戦時中にもよくあったやつね笑」みたいな反応を示した者がいた可能性が高い。
ちなみに『総懺悔』は、「国民道義の低下」によって戦争に負けたのだから、全員で反省しようという理屈である。ところが「国民道義の低下」も戦時中あった。
この戦時下、兎角国民道義に弛緩の傾向の見えるのは、真に遺憾の極みである。
皇民礼法精典 国民礼法振興会 軍事教育社 昭和一七(一九四二)年 国立国会図書館デジタルコレクション ↗
これ書いてるのは白井喬二で、喬二なにやってんだよという感じだが、このように『国民道義の低下』も戦中よく言われていた。それにしても喬二がおかしなことを書いているのは最高にウケるものの、喬二の小説は目茶苦茶面白いから読んだほうが良いのだが、新本で販売されているの少ないのね。古書店で探して読むと良いと思う。
それはそうとして、『国民道義の低下』に関して変な話が残っている。敗戦の勅語を聞き武装を解除する際に、とあるイカれた最高司令官が、「なんぢらは奉公の誠をつくして遺憾がなかつたのに、銃後の国民の根性が腐つてゐたから、かうした敗戦の憂目をみたのだ。悔しかつたら、帰国の後にも軍人精神をわすれず、指導者となつて国民の根性をたゝき直してやれ」と訓示をしたらしい。
この「血迷つた訓示」を聞いて復員した人々が帰国すると、家は焼かれてなく、親や兄弟も散り散りで、軍人官僚は軍需物資を隠匿している。国民も闇取引に夢中である。頭のおかしい最高司令官の訓示の通り、復員兵たちは『国民道義の低下』を目の当たりにすることとなった。
これで「なるほど国民の根性は腐つてゐる。これだからまけたのだ」「これさへ無かつたら、勝てない筈はなかつたのだ。」「勝つべき戦ひを、国民の協力がたりなかつた為めに、むざむざとまけたのだ。」「ようし俺たちだけで頑ばらう。そして時節の到来するのを待たう。」と思い込み、異常な敵愾心を持つものが出たそうだ。
新愛国論 -- 文理書院 昭和二二(一九四七)年(https://dl.ndl.go.jp/pid/1039407/1/63)
この話の真相はよく分からないが、このように戦中と戦後は、かなり強くつながっている。だから一億総懺悔も「またそれかよ笑」と受けとるような人もいるのが当然で、ハイ! 今から敗戦です!! それじゃ全部変わりま〜す!!! とはならない。
ところでこの件で、私がひとつ面食らったことがある。もともと私は「一億総懺悔」が、それなりに考えて絞り出したものという認識を持っていた。ところが実際は「一億」とか「総」とか馴染みあるし懺悔くっ付けたら良くね? みたいな思いの外に適当な雰囲気があったことで、もう少し真面目に考えろよといった感想である。