人物でつなぐ
「昔の人なにしてた」に出てくる人と、敗戦直後の本の前書き・後書きに出てくる人を、名前で突き合わせた。左はその人がある日にしていたこと、右はその人が本に書いたこと。23人が両方に出てくる。
していたこと
1898年2月20日 午後に稲葉君と散歩をした。牧瀬氏を訪ねて、夜は小柳君と松本氏を訪ねた。得田、榊に手紙を出して、九時から十二時まで座禅をして寝た。西田幾多郎 著『寸心日記』 [NDL]
していたこと
1904年6月3日 今日は学校で、桐島たちに横浜行きの切符を押し付けられてしまった。もとより横浜に行くつもりはなかったが、友達甲斐のないやつだという声や、「頼む」といった懇願に押し切られて、切符を買い取ってしまったのである。汚い教室から出て、家に帰った後で切符は桐島に返すことを決心したが、今日はあまり勉強もできなかったし、なんで俺はこんなに意志が弱いんだろうか。太田正雄 著『木下杢太郎日記』第1巻 (日記 1 明治三十四年-明治四十二年) [NDL]
していたこと
1912年3月30日 一ヶ月以上も日記をサボった。いつのまにか桜が咲いていた。桜が咲くと雨が降った。去年は桜が咲いたかと思うと、風に吹き散らされた。今年は散らないうちに色褪せそうだ。今も空は一面に曇っていて、風は湿気っていて寒い。『津田左右吉全集』第26巻 [NDL]
書いたこと
書いた本 論語と孔子の思想わたくしは、かねてからシナ文字を用ゐることをできるだけ少くしようとつとめてゐるので、この書もそのつもりで書いたが、かういふ書きかたがまだよく…
名前が出てくる本 明治維新 : 現代日本の起源一九四〇年に執筆され中央公論誌上に連載された本篇が、いま、岩波茂雄先生により採択され新書の一冊として公刊されるにあたり、歴史の動きの力強さを…
書いたこと
名前が出てくる本 結婚 : 若き日の愛の記録私の古典まさにこれは私の古典なのである。十年間にねむりつゞけたのであつた。この十年間は、すでに説明するまでもなく真実が歪曲された十年間であつ…
していたこと
1918年1月10日 児童楽園で午歳(うまどし)にちなんで、馬の玩具の展覧会が開催された。展示する馬の玩具は、巖谷小波が出品した。巖谷は午歳生まれで、馬玩具のコレクターとして有名だった。村尾節三 編『日本児童研究資料』第26-3 玩具三 [NDL]
していたこと
1926年3月28日 日記は五ヶ月前に中止した。しかし小鳥の日記をもう一度始めることにした。少し前から諸国の方言集を収集し、雀をなんと呼ぶのかを比較して楽しんでいる。面白くて仕方がないので、人が訪ねてくると雀の話をしてしまう。庭の雀は、シジュウカラがやってくるとどこかへ行ってしまう。二種の鳥の社会関係はよく分からない。親密ではない。冷淡でもない。お互いが「在れども無きが如し」といった態度で、小鳥には仲間という概念はないらしい。『定本柳田国男集』第3巻 [NDL]
書いたこと
書いた本 先祖の話自序ことし昭和二十年の四月上旬に筆を起し、五月の終りまでに是だけのものを書いて見たが、印刷の方に色々の支障が有つて、今頃漸くにして世の中へは…
名前が出てくる本 連句大概あとがき本書は思ひがけなく伊東月草氏の遺著になつてしまつた。感慨深いものがある。本書の内容ははじめラヂオの趣味講座として連続放送されたもので…
していたこと
1936年3月24日 今日は曇り、午前中は診察をした。新患が三名来た上に、出版関係者の人々が十人以上やってきて多忙すぎた。午後は昼寝、腹の具合もよくなかった。晩飯は道玄坂で鰻を食べた。これで三日連続鰻を食べたことになる。息子の茂太は北大受験第二日目。『斎藤茂吉全集』第30巻 (日記 2) [NDL]
書いたこと
書いた本 朝の蛍 : 自選歌集後記本書は戦争中しばらく、出版を中止してをりましたが、いよいよ平和となり。新時代に入りましたので茲に新装して二たび出版することとなりました。…
書いた本 浅流 : 歌集後記斎藤先生が目下地方に転居してをられ、万事が御不便なので、伊藤禧一氏と私とでお歌をあつめました。歌集の名「浅流」はセンリュウと読みます。先…
書いた本 童馬山房夜話 第4後記この夜話は、尙長く続けるつもりであつたが、三月より病気に罹り、続けることが出来なくなつたので、これを以て一先づ打切りにした。昭和二十一年…
していたこと
1939年8月4日 徳川夢声が四二年ぶりに故郷の島根石見国を訪ねた。先祖の墓参りをして生家を見た。素朴な家だった。この家で生れたことを不思議に思った。この家にはある時期、島崎藤村が住んでいたそうだ。雪舟の硯洗の井戸を見物した。こんこんと湧き出る清水の井戸で、奇麗な弁慶蟹が沢山いた。夜は島田屋旅館で歓迎会が開かれ、徳川は高津川の鮎をご馳走になった。土地の人々は日本一の鮎だというが、徳川も日本一だと感じた。塩焼を頭からもりもりと齧ると、香りが高く快いこと、味の芳醇なことは無類であった。徳川夢声 著『吾家の過去帖』 [NDL]
書いたこと
書いた本 柳緑花紅録はしがき柳緑花紅錄といふ文字は、柳はミドリ花はクレナヰで、是々非々といふぐらゐの意味で用ひたのである。別に抹香臭さを漂はすつもりではない。原…
名前が出てくる本 のんき哲学序文われわれ日本人の骨肉には、封建的なものが、実に根強く浸みこんでゐる。そういふ私自身に、時々それを感じて、ギヨツとすることがある。が、その…
していたこと
1942年12月11日 箱根に籠って仕事をしていたが、東京に帰ってきた。昨日は寝たのが朝の三時で、終日疲れを感じた。十一時過ぎに病院、病気は良くなっているとのことで、あとは体力を回復させることが大切だと言われた。それから次の約束まで二時間潰さなくてはならず、日比谷公園を歩き続けた。午後二時に鶴見祐輔と金井清に会って金の相談をした。帰宅したのは午後四時、人力車の代金が八十銭で大変な損失だ。マルキシズムの事を考えた後で、火鉢でトーストを焼いて夜食として食べた。美味い。早く寝たいと思いながら、『社会思想家評伝』の「ラッサール」を読み始めると面白くて止まらなくなり茶の間で読了、脳が興奮していたので妻と明治時代の東京について語り合い、結局寝たのは午後十一時になった。社会思想研究会 編『河合栄治郎全集』第23巻 [NDL]
していたこと
1943年10月26日 朝、快晴である。今日は畑田夫人が息子さんと一緒に、私の家で一泊する予定だ。ところが夜になっても畑田夫人が来なかった。折角骨を折って入手したイカは、煮付けにして食べることにした。私は歯を病んでいるので、多くは食べられなかった。『河上肇全集』23 [NDL]
書いたこと
書いた本 思ひ出 : 断片の部・抄出落書きあり。
書いた本 旅人 : 河上肇詩集小林洋子様私が人の名を選んだのは自分の子、三人の外には一生を通じてただあなたのお名だけです。あなたの名を選んだその私も、今は古稀に近く、もは…
書いた本 河上先生からの手紙序「なべて物みな終あり戦もいつしかやまむ耐へつつ待たな」。この本にあるこの歌を一九四五年の新春によんでから乏しきに耐へながら「あなうれしさと…
書いた本 雑草集 其2河上肇との思い出話。印象に残る内容。
名前が出てくる本 京都帝大経濟學部再建問題右六敎授の感慨果して如何、丁度一ケ月前に學部新生の人柱たらんことを期して辭表を出したものの、この一片の紙に表現される意志により辭職は現實化し…
していたこと
1945年11月28日 ローマ字に関する原稿を書いているのだが、昨夜より苦心をしている。岡倉由三郎の『初等英語講話』のローマ字談を参考にして仕上げてしまおうと思う。午後は学校で佐藤卯吉、岩浅時三君らとに会った。妻のひなゑは大塚駅へ手荷物を取りに行ったが、未着だったそうだ。今日のお客は、大塚茂君、中野氏の親戚の人、木俣君が高橋という欧文社の人をつれて、それぞれ来訪、入江は夜に来訪。色々考えていたのだが、ローマ字の件は「ローマ字談」のタイトルを「ローマ字の話」として修正、岡倉由三郎著、福原編にしてやり過ごしてしまうことにした。井伏鱒二 [ほか]編集『福原麟太郎随想全集』8 (日記・書簡) [NDL]
突き合わせは名前の一致による。旧字体は新字体に寄せて比べ、同姓の別人はひとつずつ人の目で外した。
それでも取りこぼしはある(号と本名が違う人、名前が挙がらないまま語られている人)。
対照表: data/person_links.json(analysis/person_link.py が作る)
データ生成: 2026-08-10